ツールとしての「弱者」

そのままテレビをつけっぱなしにしていたら、「ビューティフルライフ」の再放送をやっていた。
どうも最近「愛していると言ってくれ」や「ビューティフルライフ」というキーワードからアクセスしてくれる人が増えたなあと思っていたら、それもこれも再放送していたからだったのか、と今さら気づく。

要はもうすぐ始まる「オレンジデイズ」の前宣伝のための手当なんだろう。
今度は芝咲コウ演じるヒロインが、手話を使うキャラクターに設定されているらしい。
例によって北川悦吏子ということで、なんともイヤな予感もある(「 [life] PCの中にある差別 3」参照)
ともあれ、手話という原語の認知を高めるためにも、前よりは良い形で取り上げられることを素直に期待したい(妻夫木聡と芝咲コウという主人公カップルに、個人的にあまり魅力を感じていないことは残念だけど)。

でも、結局のところ「北川はまたやるだろう」という予想を客観的にしてしまう。
彼女は今まで二度同じようなことを繰り返しているし(上記リンク拙日記参照)、テレビ屋は今度もあざといシカケを彼女に要求するだろう、と思うからだ(北川という作家が重用される理由が、もちろんヒットメーカーであることはそれとして、「注文を素直に聞くライター」という点が評価されているというのも大きい)。

もちろん、そんなことが起こらないことを、心から願っている。

「ろうあ者」とか「普通」という言葉を、わかっていながら使ったというのなら、テレビ屋としてはアッパレ。でも、無自覚に使っていたのなら、それはプロフェッショナルとしてあまりにも恥ずかしい。