モデレーションシステムの疑問

一応は“成果を見せている”ことになっているらしいモデレーションシステムなのだけれど、僕はどうしても根本的な疑問を持ってしまう。
以前、「 [Hatena] はてなダイアリークラブ問題」という章立てで、「広いWebの海の中で、ゆるやかに繋がることができるからこそ、blogというツールは大きな広がりを持つ」と書いたことがある。
もちろん、ここで言う「繋がり」というのは、キーワードリンクを基本に発生する繋がりのことだ。

モデレーションシステムは、たしかにいわゆるミスヒット対策には有効だったかもしれない。
しかし、「発生するリンクの入り口としてのキーワード」を管理するシステムとしてはひどく片手落ちだ。杜撰と言ってもいい。

例えば、僕は「日本」や「東京」というキーワードを、自分のアイデンティティとして尊重してポジティブ票を投じている。
もちろん、地名のような類のキーワードは、逐一ヒットしてしまうのが煩いと感じる人も多いだろうし、だからこそスコアもそう高くないんだろう。実際「しきい値」を50にセットしていたら、自分の記述の中にリンクは発生しない。

問題にしたいのはまずここだ。
「自分がリンクしたいと思うキーワードを、選んで抽出することができない」
ということだ。
外すことはできても選ぶことができない、というシステムは、どう考えても一方通行だろう。
そして、そのためにしきい値を下げるのであれば、他の雑多なリンクを受け入れる(さらにそこからリンクの取捨選択をする)というコストが無条件に要求されてしまう(自分で二重括弧をつけるという対応はもちろん可能にしても、それはモデレーションシステムの外での対応だ)。

そして、例えばその「東京」に、記述本文からのリンクが発生していなかったとしても、「─を含む日記」には自分の「はてな日記」のタイトルがきっちりとアップされてしまうのだから、構造としてアンバランスきわまりない。

もしこれが、多く積極的に忌避されているキーワード(例えば「なっちゃ」「うれし」)だったらどうだろう。
有料オプションを使ってしきい値を100まで上げようとも、「─を含む日記」からのリンクは存在し続けるのだ。
しきい値の設定で本文中にリンクは発生しなくとも、含む日記からのリンクは存在する」
こんな矛盾もない。
スコアがゼロや一桁のキーワードを「含む日記」としてタイトルがリストアップされてしまうのは、不名誉に思う立場からは、どうしても疑問に感じてしまう。

記述の中のキーワードリンクから、キーワードのページや他者の記述にジャンプしたとしたら、どこへ飛んだとしても、それは主体的な選択だ。
しかし、「含む日記」からのアクセスは全くの受け身であって、そして現状ではリンク拒否を無為には選択できない(前述のようなコストを要する)状況にある。

「含む日記」からの不本意なアクセスを回避しようとした場合、現状ではしきい値をゼロに設定して、ひとつひとつリンク拒否をしていくしかない。
モデレーションシステムがどれだけミスヒット回避に有効だとしても、そういった形で「招かれざる客」を受け入れざるを得ない構造になっている以上、現行のシステムは絵に描いた餅でしかない。
こんな不公平なシステムは、欺瞞と偽善だけの虚飾だ。

モデレーションシステムの数値によるキーワード削除というシステムについて、現状で無条件の賛成をするものではない。
しかし、このような一方的な不利益が存在する以上、もし削除システムが始動したら、現実的に取りうる唯一の選択として、個々人各様に「不本意」なリンクが存在するキーワードについて、逐一「キーワード登録の削除」を選択していくしかないだろう。

モデレーションシステムを始めとするさまざまな流れは、一体どこを向いているのだろうか。
どうも「よりよい環境」を指向しているというよりは、面倒なことは一括して処理してオシマイ、というファッショな空気を感じてしまう。

無用のキーワードからのリンクを拒否するためにコストをかけ続けなければいけないことも、「それじゃあ削除できるようにしちゃえばいいんですね」というシステム側の対応も、どうも短兵急で目先のことしか見ていないような気がする。
どうも「はてな」という場所は、だんだん平和な空間ではなくなってきているようだ。

モデレーションシステムにしても、これまでの「評議会」その他の問題にしても、民主主義を構造的になぞっているという意味において、「はてな」は戦後の日本社会の類型、趨勢として全く正しい。
そして、同じように根本的なことが間違っている。