山本ジャパン

圧倒的な敗戦。プレイ内容の差は、スコア以上に開いていたと思う。
イタリアの「カテナチオ」の威力が存分に発揮されたということなんだろうけど、大半のプレイを相手陣内でしておいて、あれだけ得点できないのはどうしてなんだろう。

畑違いだけれど、元阪神の川藤が巨人戦の解説で「点の取り方っていうのは色々ある。想像力を働かせないと」と言っていた。
日本のプレイは、ことごとくその「イメージ」を欠いていたように見えた。あるいは、イメージの拡大を疎外する原因がどこかにあった。

例によって連携が繋がらない。ペナルティエリア近くから逆サイドに振っても誰もいない……そしてそれを愚直に繰り返す。
小野のパスが通っても、その先が繋がらない、打てない、奪われる。
「決定力不足」以前の問題として、チームとしてのサッカーができるような状態ではないように見えた。

ヨーロッパ組の召集問題だとか、平山が低レベルの大学リーグに進んでしまったことのような、もっと大枠の問題があるのはわかる。
小野の合流の遅れは、たしかにチームプレイの完成を疎外したんだろう。
急転不参加になってしまった高原の代役を期待された平山は「チーム全体のレベルアップに戸惑い」「繰り返される山本監督のマンツーマン指導にプレッシャーを感じ」「顔に吹き出物が出てしまった」といったワイドショー的な報道までされている。
そんなことの真偽はどうでもいい。山本ジャパンが無様に予選落ちしたことだけが事実だ。

先日まで、ジーコ・ジャパンには代表選手の選考や起用法についての批判が多く集まっていた。
でも、結局アジアカップ優勝。それも支那人マスコミに「ヨーロッパ組や負傷者を欠いたBチームか?」なんて無礼な質問をされるようなチーム事情を抱え、その上あんな「環境」という条件の下でだ。
サッカーに詳しい人の中には、それでも「対戦相手がそれほど強くなかった」とか「結果よりも内容」といったことを言いたがる人もいる。
でも、テレビの前で見ている一ファンにとっては、「勝つ監督だけが良い監督」ということになる。

だから、フランスで予選全敗はさておき、その後現在のFマリノスを作った岡田監督は評価されるべきだし、日本をワールドカップ本戦に引き揚げたトルシエ監督だって、もっともっと評価されてもいいと思う。

そう考えたとき、山本監督はある程度の断罪を受けてもしかたがないだろう。

そういえば「トルシエ・ジャパン」という表現って、そんなに聞かなかったような気がする。
やっぱり「ジーコ─」「山本─」みたいにはハマらない表現だったということか。