シンクロ銀メダル

それこそ小谷実可子が銀メダルをとったときには、銀なんてすごい! と思った。でも今回は、あれで銀メダルをとれるんだなぁ、という冷めた感想しかない。
日本の監督は28歳から代表コーチというたたき上げの人なんだけれど、テッパンの「体育屋」が芸術隣接スポーツ(シンクロやフィギュアスケート、新体操とか)を仕切っていることの弊害がいよいよ出てきたと思う。ああいった指導者が采配している限り、体育大学的というか、あの恥ずかしい「創作ダンス」の延長線上からのブレイクスルーはないだろう。

バレエのドン・キホーテの音楽も高らかに、水中で舞って見せたロシアが金。導入部から徹底的にコンテンポラリーダンスの様式で、アメリカンバレエが世界的には今ひとつ受け入れられていないことを反映したかのように銅メダルのアメリカ。
日本は……徹底的にシステマティックに「体育」的な動きを見せて、そのテクニックや「シンクロ」を高度に見せて銀。
ロシアがロシアでいる限り、日本の金はないだろうし、「表現」というものの本質を日本よりもよほど捉えているアメリカが追いついてくることもあるだろう。

これは極論だけれど、努力すれば金メダルがとれると思っている限り、そこにはたどり着けないような気もする。
体格差、体力、あるいはルックスというファクターに、いくらテクニックで対抗しようとしてもそれだけでは太刀打ちできないはずだ。芸術隣接スポーツに、努力と才能だけで勝つことはとても難しいだろう。

純粋な競技スポーツのソフトボールですら、技術だけではなく体格・体力的に優秀な選手を中学生から一本釣りして養成するようになったというのに、個人の資質が大きなファクターになる競技でいつまでもド根性をやってみせてもしかたないと思う。

そして団体では「サムライ」に「祭り」に「阿波踊り」だそうだ……観客に媚びて点数が上がるならいくらでもすればいいと思う。
でも、ロシアの金やアメリカの銅は、媚びへつらうのがうまくいった、あるいは失敗した結果でもなんでもないことに、そろそろ誰かが気づいてもいいと思う。