小樽観光に感じる違和感

小樽という街は好きだけれど、これほどまでに観光地として整備されてからはどうもピンとこない。
だからといって環境原理主義者みたいに「昔の小樽運河の方がよかった」なんてことは言わない。だって、ヘドロと泥が砂州みたいに淀んでいるのに、保存だけを声高に言ってもしょうがない。
今思うと、「環境運動」みたいなものに関心や疑問を持つきっかけになったのが小樽運河の問題だったような気がする。
ともあれ、それから20年経って、小樽運河は観光スポットとしてぐんときれいになった。

その運河沿いを歩いたときに、何に違和感を感じるかというと、やっぱり巨大になってしまった「北一硝子」の拡大主義、商業主義に対してなんだろう。

それこそ20年前は、まだ北海道内でもそれほどの知名度はなかった北一硝子だけれど、気がついたらいつのまにか巨大観光産業になってしまっていた。
昔は本当に吹きガラスで作られていた商品が多くあったけれど、今やマスプロダクトになってしまった商品のなんて多いことか。
今の北一硝子に価値を見いだすとしたら、スワロフスキーの商品が充実していることや、ムリーネなどのベネチアングラスの商品が充実していることだろう。そういう買い物をする分には、とても便利なところだ。

ガラス器に興味を持ったのは、確かに北一硝子の影響はあったと思う。でも、例えばザ・グラススタジオイン函館のような作風に好みはシフトしていったし、同じ流れで小樽運河工藝館のものも好きになっていった。
結局、ハンドクラフトではなくなってしまった北一硝子の商品は、マスプロダクトとしてHOYAリーデルに遠く及ばないし、あえて選ぶだけの理由を見つけられなくなってしまったからだ。

というわけで、小樽では小樽運河工藝館でガラスの製作体験をしてきた。
「作品」はビールジョッキ。口を広げる工程で思い切りが悪かったせいで、ボトルネックのあるウツボカズラ
みたいなシェイプになってしまった。
でも、自分で「作った」と思えば愛着もひとしお。ビールだけではなく、いつもそればかり使うようになってしまっている。

小樽運河工藝館は、そんなふうに昔から大好きな工房だったのだけれど、唯一残念なのが……大嫌いな映画「Love Letter」のロケ地になっていたことだろうか(今回初めて気づいた)
イノセンス」もそうだけれど、女性に何かを叫ばせて物語を収拾させようなんて映画は何かの奇形だ。
アンチ・フェミニズムなんてことを言うつもりはない。性差云々のずっと手前の根本的なところで、人間として間違っている。