素人バレエ

ひさしぶりにバレエ、それも素人さんのバレエの話。

ちょっとしたお招きで、あるお稽古場の発表会を見に行ってきた。
最初は正直気が進まなかった。だって、友達が出てるのならともかく、どうして赤の他人の大人の素人バレエを見なきゃいけないんだ? っていうのはどうしてもある。
もちろん、これがバレエ学校の発表会だったり、小さなお稽古場でも子供のなら全然違う。ダンサーの卵たちや、子供のバレエはいつ見ても楽しい。
レトリックでもなんでもなく、子供のバレエは可能性のカタマリだし、舞台の上で伸びそうな子を時折見つけたりすると、どんどん楽しくなってくる。

ところが……これが結構楽しかったんですね。これはかなり意外だった。

上手か? もちろんそんなことはない。むしろ下手な人が多いし、どう考えてもあなたは向いてない(先生苦労してるだろうなぁ)なんて人も中にはいるけれど、中には結構様になっている人もいて、真っ当なバレエになっている「踊り手」は何人もいた。
バレエは技術じゃなく、気持ちの問題。踊りじゃなくて生活、人生そのもの、というのは素人バレエでも同じなんだな、と感じた次第。
もちろんそれだけ厳しくも残酷な話で、それに気づけない人は一生上達しないし、その大半はそういう感覚自体を最初から持っていないから気づきようもない、というのが事実に近いだろう。

何人かみつけた、背中がまっすぐな人、手先足先の表情が美しい人、リズムがアレグロの人……彼女たちのナポリターナやマズルカは、本当に美しかった。


さて、素人さんのバレエということで思い出したことがある。


あるバレエ教室の初心者クラスに、子供の頃多少はレッスン経験があって、大人になって再開した、なんてOLさんがいた。
まあ特に上手でもなければ下手でもないし、一応は経験者だそうだけどポワントトゥシューズ)も履けないようだし……といったレベルの人だった。

どうして彼女のことをそんなに覚えているかというと、ある有名な舞踊評論家の愛人だったからだ。
プロのダンサーや教師が、自分のスタジオなり教室の生徒と関係を持っていることなんて珍しくもなんともないけれど、まさか評論家先生が不倫してまでつきあうのが素人バレリーナなの? と心底驚いた。

その評論家は新書館音楽之友社のようなバレエ界の幇間マスコミはもちろん、舞台芸術を取り上げるのに熱心な全国紙などにも寄稿している人で、例えばクマテツが参加したある公演を「熊川の出来が悪かった」みたいにバッサリやっちゃうような日本バレエ界には珍しい辛口の人だったから、余計に不思議に思った。

「X先生はー、『○○が一番上手だよ』っていつも言ってくれるんですー」
なんて間抜けな口調で間抜けな話を聞かされたこともあったから、こいつらは二人揃ってバカなんだなあ……とかあきれるしかなかったし、ましてや評論家先生がその素人バレエを「上手」と言えるなんてことは、全く理解できなかった。

でも、今はなんとなくわかるような気がする。
おそらく、彼女は彼女なりに懸命に踊っていたのだろうし、その踊りの中に、時には何かしら感じることができたから、評論家先生もそんなリスキーな関係性をわざわざ選ぶようなこともできたんだろう。


伏せ字とか「ある人」みたいな表現を使うのは主義に反するのでそのまま書いてしまいたいところだけれど、今もつきあってるかどうかわかんないので……一応ナイショナイショ。

でも、バレエとは全く別のところで、「自分の女の首には縄くらいつけとけ」と思ったのもまた事実。
だって、宮様もいらっしゃるようなレセプションで、得意気に不倫の話を持ち出すのはただのバカだろう。
「X先生の女」っていうのがアクセサリーみたいなステイタスになるとでも思ってるハレンチさは彼女の勝手だけれど、良識常識を持ってもらわないと不愉快な思いをするのは周りの方なんだから。