父と息子

ビッグ・フィッシュ」は、ディスコミュニケーションであれ、何らかの不幸な関わり様であれ、「父親」に対して何らかの関係性を持っている「息子」に、何かを感じさせる映画。

もし大学生くらいのときに見ていたら、スクリーンの前で斜に構えてしまってたかな? という気はする。なんだ、ただのセンチメンタルじゃん、とか思ったかもしれない。
そして、ティーンエイジャーの頃に見ていたら「ティム・バートンのくせに全然ファンタジーじゃないじゃん、フン!」なんて偉そうに言ってみたかもしれない。

もし、高校生の僕がフン! とか言っているところに、今現在の僕が居合わせることができたとしたら、ぼそっと話しかけてみたくなるかもしれない。

「そう、親子関係はね……特に父親と息子の関係はファンタジーなんかじゃない。いつかそう感じるときが来る。必ず来る。でも、今はそれがいつかは教えられない。
でも、これだけは言っておこう。そのとき、君は、とても驚くことになる」

現実世界の僕は、“それ”を既に経験した、してしまっている。
そして僕はそのとき、もちろんものすごく驚かされることになった。

でも、僕は、それ以上に降りかかってくる現実的な様々なことに忙殺されて、喜怒哀楽を感じているヒマなんてなかった。率直に言うと、泣くヒマもなかった。

その涙が、10年ぶりにやってきた。そんな映画だった。

家に帰って、ビールの栓をあけたとき、声を出さずに父と乾杯した。
不思議なことに、存在感も、コミュニケーションも、死んでからの方があるのだから……我が父ながら不思議な人だ。それはもちろん、とても皮肉なことなのだけれど。

あれから10年が経った。

「愛憎関係って長続きできるのよ」
映画「ブラック・レイン」より