「ビッグ・フィッシュ」再び

bunqさんのはてな」で「親の死はまあ順番だとも思いました」、なんてコメントをしたことと、「ビッグ・フィッシュ」的なことを色々と考えてしまうわけです。「順番」だったという気持ち自体は変わらないにしても。

身近な死として一番最初に体験したのが父の死だった、ということが、具体的に僕にどう影響したのかはわからない。ただ、嫡男としてその死を看取るという経験を、友人や同僚が亡くなることよりも先にしてしまったことで、僕の中に死というものに対してある種の冷めた感覚ができてしまった部分はあると思う。

二十いくつかのお兄ちゃんが葬式というタイトな現場を仕切らないといけなかったのだから、「死者には死者の責任があるように、生者には生者の責任がある」そんなことを考えてしまったのもしかたないよね、と言い訳をしてみたりとか……。
しかし、その経験があったことで、翌年にパートナーの死を迎えたとき、その悲しみとも冷静に向き合うことができたのだから、父からのプレゼントは僕にとっての大きな「救い」になったのだろう。

あの映画は、紋切り型の美談というわけではない。
ああいった有り様になってしまいがちな父子関係というものを、等身大にとらえているからこそ、その視点は甘くもなく、辛くもないはずだ。
美談なんかじゃないから切ないところがあるんじゃないか?

この世に「平和な父子関係」というものがあったとして、その人はこの映画をどうとらえるだろう、なんて思うのだけれど、やっぱり同じように「父の思い」といったある種の感情の存在を考えてしまうと思う。