映画宣伝というネタバレビジネス

映画をテレビや雑誌で宣伝するとき、興味を引くためならどんなテも使うのもアリなわけで、その中には『「パニックルーム」★2』で触れたようなストーリーの山場までを明らかにしてしまう手法もあるし、ある層の人たちの共有認識を刺激する方法もあります。
続編の宣伝の時に前作の内容をかなり明け透けにしてしまっているものは多いし、それはマーケティングとしては正しいでしょう。対象になる観客の大半は「リピーター」なわけです。

一方、公共性のあるデータベースでストーリーを紹介するなら、宣伝の手法のようにキャッチーであることよりも客観性の方が重視されるのは当然です。そこで求められているのは、読み手の感心を引いてお金を落とさせることではなくて、資料としての公共性なんですから。

はてな」とシステム的にリンクしているamazonの、DVDなどのあらすじがネタバレだらけなのは、ビジネスとしてはアリというか、そういった種類の必然なのだけれど、その「相互乗り入れ」によってデータベース的な側面を持たされていることで、矛盾というか、違和感が発生してしまうわけです。


「宣伝に書いてあったから、ネタバレではない」なんて価値観は、映画作品の本質的部分と、PRやマーケティングというビジネス面を無分別に一緒にしているだけで、客観性や公平性とは無縁でしょう。

シネスケのようにルールとして相対的にそれを禁じているのであれば、まずそれに従うのが第一。
キネマ旬報データベース」が物語の起承転結を完全に記載しているのは、また別のベクトルからの公共性でしょう……でもときどき、肝心のストーリーが間違ってることもあるんだけど。