「卒業」★3/5
この映画を「名作」ってスタンスで捉えることには、大きな声で「ノー」を。
とはいうものの、「アメリカン・ニュー・シネマ」という存在、ムーブメントが、この時代にどんなふうに存在したのか、ということも合わせて考えないといけないのだろう、とも思う。
それまでのハリウッド映画が娯楽一辺倒で、西部劇のようなのプログラムピクチャーや、主演俳優のキャラクターにそのまま寄りかかった「○○出演作」というスタンスのもので、ハッピーエンドや勧善懲悪といった「お約束」にがんじがらめになっていたところに、ヒューと風穴を空けたのが「アメリカン・ニュー・シネマ」だった、なんて部分はたしかにあるのだろう。
※以下はネタバレ
アメリカン・ニュー・シネマとかいう「ヌーベルキュイジーヌ」を、気取ったレストランで食べるつもりで出かけたら、目の前に出された料理は妙に泥臭い「親子丼」だった……なんて言ってしまえばふざけすぎかもしれない。
名作、アメリカン・ニュー・シネマ、青春映画……とまあなんでもいいのだけれど、母娘共々と関係しておいて、世間並みに幸せになろうっていうのは……ムシが良すぎ。そう考えると「あの」ラストも逆ギレにしか見えない。
たしかに、若気の至りの「親子丼」にしたって、主人公と物語そのものが、ニューシネマとしての「偽悪的スタンス」を指向したと考えられなくもない。
じゃあ、そこまでアンチテーゼであろうとしたこの映画が、なぜ最後にああいった大団円を迎えることができたのか?
一つは、単に「三文オペラ」のようなレッセ・フェール的ハッピーエンドだとも考えることもできると思う。でも、実際の所はハッピーでもなんでもなく、観客を置き去りにしたままバスは走り出してしまったんだろう。
そして、無理目の解釈を差し挟めば、「キリスト教的道徳感を持った人は、この映画なんて観なくて結構です」なんてメッセージ(というか皮肉)が、十字架がつっかえ棒になって会堂から出て来れない参列者というラストシーンに現れているのかもしれない。
結局の所、この映画は物語的にも演出的にもアバンギャルドな存在ではあっても、「名作」と呼べるようなものではないと思う。サイモン&ガーファンクルも、この映画自体も、相互作用でとってもトクをした、なんてとこなんだろう。とっても耳あたりのいい音楽が、昼メロ的ドロドロ劇をきれいにシュガーコートしてくれたのだから。
この映画が好きか嫌いか? 好きですよ、とっても。やっぱり映画史に残る作品だし、名場面だと思う。
でも、中学生や高校生の頃に観なくてよかったな、と心底思ってはいるのだけれど。