「セブン・イヤーズ・イン・チベット」★3/5

1939年秋、ナチス統制下のオーストリア。登山家のハインリヒ・ハラーブラッド・ピット)は、出産が間近の妻イングリッド(インゲボルガ・ダプクナイテ)を振り切り、ペーター・アウフシュナイダー(デイヴィッド・シューリス)等と共に、ヒマラヤ山脈の未踏の高峰・ナンガ・パルバット登山を目指して旅立った。しかし、予期せぬ雪崩などのアクシデントから登頂を断念、パーティーは失意のまま下山する。そんな彼等を麓のインドで待っていたのはイギリス軍だった。ドイツがイギリスに宣戦布告したことによって敵国人となってしまった一行は、捕らえられ捕虜収容所に収監されてしまう……。


ブラピ」「冒険」「チベット歴史」「反中共プロパガンダ」─どの要素も単独では成り立たなくても、まとめ売りしたらビジネスになってしまったという中途半端な作品。美しい自然だけは……と言いたいところだけれど、それも南米アンデスなわけで。

ブラピ」映画としてどうにもダメっていうのは、個人的な感覚だとは思う。でも「トロイ」みたいな大作はともかく『テルマ&ルイーズ』や『トゥルー・ロマンス』とくらべてもカッコよくなかったと思っちゃったんだからしかたない。

でも、ダライ・ラマ14世を演じた少年には刮目するしかない、ということで、+★1の結果★3。


セブン・イヤーズ・イン・チベット―チベットの7年 (角川文庫ソフィア)

  • リンクは原作本(内容の相違などについては不明)/DVD未発売(ビデオは既発売)

※以下はネタバレ


とにかく、エンディングで実話に基づいていることを知って驚いた。
というか、フィクションだとばかり思っていたので、ダライ・ラマが出てきた段階でびっくり。たしかにタイトルに「……チベット」とあるわけだから、チベットにたどり着くんだろう、とは思っていたけれど。現代チベット史を素材に織り込んでいるなんて想像もしていなかった(……ブラピだし)

それにしても、当のチベット(というか肝心のラサ)までの荒行苦行旅日記の冗長なこと! あのへんをバッサリやってコンパクトでシンプルに仕上げた方が前述四要素の「冒険もの」以外としては全くスッキリする。そもそもこの映画が『植村直己物語』ではないことを考えたら、登山家の冒険行というニュアンスは極力排除するべきではなかったか。
身重の妻は放置。初登頂の高名のためならバディも危険にさらす、なんて利己的な彼が変化したのはラサでの生活やダライ・ラマとのふれあいの中で、という描写はあっても、チベットの高地を放浪していく過酷な自然の中で彼の心が……なんてことは全くなかったわけだから、完全にムダだという気さえする。

ムダといえば、ラストの親子和解エピソードも全くの蛇足で、映画にもブラピにもなんの魅力もトッピングしてくれなかった。
やっぱりハリウッドはああいうラインを欠かさずには終われないんだろうか。同じ離婚を扱っているコメディの『ミセス・ダウト』よりもスイートなエンディングというのは、この映画のトーンには合わないだろう。

そして、「チベット歴史」「反・中共プロパガンダ」要素は一対になっているわけだけれど、あの描写では「昔々、中国の侵略がありました」ってだけで終わってるのではないだろうか。

昔々侵略がありました。だから今もダライ・ラマはインドでの亡命生活を続けています……それだけでは、あの侵略の意味やチベットの過酷な現状は全く伝わってこない。

例えば、偶然見つけたチベット亡命政府のホームページには、一般的にほとんど知られていない情報がたくさん掲載されている(以下はほんの一部)

チベットはウ・ツァン、カム、アムドの3つの地方で構成されている。チベットの広大な土地の半分にも満たず、総チベット人人口の三分の一に過ぎない『チベット自治区』という意味と混同すべきではない 」「ダライ・ラマ法王の写真を所持することは、現在、チベットでは違法」「パンチェン・ラマ11世チベット政府が認定している本当のパンチェン・ラマ)は、1995年5月ダライ・ラマ法王によってパンチェン・ラマと認定された3日後に、中国政府によって連行され、現在もその行方および安否は全く判りません」

結局のところ、ことさら中共を指弾する必要がないアメリカが、映画的にオイシイ題材としての価値、商品になる部分(東洋的な神秘性とか)として、チベットダライ・ラマ14世を持ち出しただけで、要はビジネス的方法論に過ぎなかったんだろう。それなら全ての要素が全部上っ面をなぞっただけなのも説明がつく。すごそうな題材が並んではいるけれど、結局の所映画的ファースト・フードのところで筆が止まってしまっている。

もっとも、この作品をきっかけにチベットに関心を持つ人が一人でも増えたのだとしたら、それこそが明日につながっていくとは思うのだけれど。